タイトルは、アイビーボーイでお馴染み穂積和夫先生の名著「着るか 着られるか」をもじってみました。
ということで、今回はちょっとファッション寄りの話。
Gennojiです。
最近は紳士靴にも眺めていたくなるような美しい仕上げがされたものがあります。
しかし、見て美しい靴が履いても良く見えるかと言えばちょっと違う。
靴自体は素敵でも、履いてみると「なんか靴に履かれているな〜」なんてことも。
私はファッションの専門家ではないし、他人の服装にとやかく言う筋合いなんてありませんが、仕事柄これまで多くの方の革靴姿を見てきました。
革靴を素敵に履きこなす人・イマイチな人の差はどこにあるのか?
個人的に大切だと思うポイントをお伝えします。
靴だけ目立つのはNG
「素敵な靴ですね〜」なんて言われたら誰だって嬉しいもの。
しかし仮に、靴だけが目立っているとしたら、それはけっして褒められたことではありません。
全身の中で露出の少ない靴に目が行くということは、どこかバランスが悪いということです。
とくに最近はこのような事態に陥りやすい。
なぜなら、百貨店の靴売り場を見ればネイビーやグレー、グラデーションにマーブル調など華やかな紳士靴がずらりと並んでいるからです。
店員からも「お似合いですよ!」なんておだてられたら、ついつい冒険してしまう人もいるでしょう。
しかし、このような華美な靴を一般男性が取り入れるのは、かなり難易度が高いでしょう。
いつもダークスーツしか選ばないような人が履いたら、たちまち靴が悪目立ちします。
新しい靴を買う際は自分のワードローブをよく頭に浮かべて選びたいものです。
とくに「靴好き」は要注意
「俺は靴を眺めながらご飯が食べられる!」みたいな靴好きの人もいますよね。
革靴も奥が深いですから、のめり込む人も少なくないです。
そういったことは個人の趣味ですから、如何様にも自分の好きに楽しめば良いのです。
しかし、もし他人からも「いい趣味しているな」と思われたいのなら、服装とのバランスにも気を配る必要があるでしょう。
どんなに高級な靴を履いても、服装に無頓着でアンバランスな格好をしていれば、残念ながら全く良く見えないものです。
靴が好きな人ほど靴を主体に考えがちですが、ぜひ「自分に似合っているか」という視点もお忘れなく。
一点豪華主義ってどうなの?
時々ファッション誌などで目にする「一点豪華主義」という言葉。
これって実際どうなのでしょう?
個人的には、余程ファッション感覚に自信がある人でなければ難しいと思っています。
例えば、上下カジュアルなファストファッションのような格好で、靴と時計だけ高級でドレッシーなものを身につけても、やはりちぐはぐな印象になるでしょう。
高価な靴と時計さえも安物に見えてしまう。
一般男性であれば、まんべんなく身なりに気を使う方がお洒落に見える近道でしょう。
一方で、昔からよく言われる「靴は良いものを買え」という言葉も一理あります。
スーツはそこそこの物でも良い革靴を履いていると、スーツまで高見えするということは実際あります。
これはあくまで、スーツと靴が噛み合っているという前提があるからこそ良い効果が生まれるのです。
清潔な身だしなみをすることは社会のマナー
最低限、清潔な身だしなみをすることは社会のマナーとも言えます。
他人に不快感を与えない為の身だしなみ。
シワは伸ばされ、髪は整えられ、靴は綺麗に保たれているということです。
よく「仕事の出来る営業マンの靴は綺麗」なんて言われるのは、身だしなみに気を配ることが相手への気遣いでもあると理解しているからです。
あたなの靴はいつも綺麗に保たれていますか?
お洒落な人は「自分に似合うもの」を知っている
「バランスが大切」ということを書いてきましたが、ファッションにルールはあってないようなもの。
時代が変われば世の中の気分も変わり、ルールの解釈も変わるからです。
たとえファッションの教科書通りの格好をしても、コスプレのように見えてしまう人もいる。
一方で、型破りな格好をしていてもその人の個性とマッチしていてお洒落に見える人もいます。
つまり、お洒落な人はルールや流行よりも「自分に似合うもの」を熟知している人とも言えます。
アイテムにばかり執着せず、「自分という人間」を主軸に組み立てることも大切。
季節や天候の変化を着こなしに取り入れる
お洒落な人は季節の変わり目や天候の変化を機敏に捉えて、着こなしに取り入れるのが上手いです。
すでに秋口に入っているのに、相変わらず半袖短パンにサンダルという方いませんか?
季節を引きずって、だらだらと同じような服装をする人はけっこう多いです。
だからこそ、季節を先取って着こなしている人は、グッとお洒落に見えるもの。
それと同じように、雨が降りそうな日にはさっとブーツを合わせるなど、天候に応じた格好が出来る人は、大人の余裕のようなものが感じられるのではないでしょうか。
たかが靴、されど靴です。
一般的に言えば、誰がどんな靴を履いているか目に止める人なんてほとんどいないでしょう。
だからこそ、靴をどのように扱っているかに人間性を垣間見ることが出来ます。
目立たないからと雑に扱う人もいれば、細かなところにこそ気を配る人もいます。
そして、意外と見ている人は見ている。
有名な話では、海外のホテルマンはお客の靴を見て客質を判断するなんて言います。(貰えるチップが変わってくるので真剣。)
ビジネスパーソンでも、相手の靴を見て人となりを判断するということはあるでしょう。
服装には自分がどんな人間なのかを表現する役割があります。
「神は細部に宿る」なんて言葉もありますが、靴がその人の印象に与える影響もけっして小さくはないでしょう。
たかが靴、されど靴です。
冒頭でご紹介した穂積先生の著書「着るか着られるか」。
書かれたのが半世紀以上前ということにまず驚きですが、その内容には普遍的な教えが詰め込まれていて、今読んでも気づくことが多く「着ることの意味」について考えさせられます。
痛快な語り口調にのせられてサクッと読める男性ファッションにおける伝説的なバイブルです。